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享徳の乱 古河公方と上杉氏の戦い 第六章 混乱期の武蔵(室町時代) 第四節 鎌倉府の争乱 享徳の乱(1455年〜1483年) (古河公方と上杉氏の戦い) 管領憲忠を殺害された上杉方はすぐに反撃に出ます。成氏もこれを受けて立ちました。両者は府中の部倍が原で戦いを交えました。この戦いは、どちらも幹部クラスに死者が続出する激戦でしたが、上杉方の大敗でした。成氏に味方した北関東豪族たちの武力が勝っていました。また、武蔵や相模の中小豪族にも成氏に従った者もかなりいました。まだ鎌倉公方の権威は健在でした。 上杉方は部倍が原の戦いで敗退しましたが、この時も京都の幕府は上杉氏を支持しました。幕府は朝廷に働きかけて天皇の御旗を上杉氏に与えました。これで上杉氏は官軍になり、成氏は朝敵になりました。そして、憲忠の弟で京に出仕していた房顕を新しい管領に任命して関東に下向させました。一方、駿河の今川氏、越後の上杉氏に成氏討伐を命じます。永享の乱の時と同じように、今川氏は東海道から、越後上杉氏は東山道から、鎌倉に攻め入ります。 成氏はこのまま鎌倉にいることの不利を考え、部倍が原の戦いで下野に敗走した景仲を追撃しなが
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